カテゴリ: 連載小説
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Virus 108

 第四章 The side of Arius

 早朝の涼風が窓から吹き込んで、そのためか、寝台の主は眼を覚ました。
 石畳の道に張りつけるような濃い影を落とす陽の光と、風といっても熱風を吹き付けるだけの日中の暑さとは違って、夏も盛りを過ぎれば、朝晩の涼しさは人も草木も生き返らせる。
 東欧はエルトリアの皇都エマリアである。河に面した高台に位置する城塞都市。その中心にある皇宮の壁は壁は、長い年月風雨に耐えてきたことを物語るかのように灰色に染まってはいるが、バロック様式の石造りが、幅は二○○メートルほどであろうか。東西にそびえる尖塔は広く外国にも知られている。
 大きく伸びをすると、たぐりよせたシーツを寝間着の上に羽織って、青年は窓辺に歩み寄った。
 外側の城壁の向こう、山々の稜線から白々しい光が夜の帳を拭いさっていく。その白と赤と蒼の混在した世界に小鳥たちが羽ばたいていった。
 城下の家庭から数本の煙があがっている。朝餉の支度であろうか。しばらくすれば、下町は喧噪に包まれる。一日の始まりだ。
 青年は眼を細ると、寝台にもどってサイドテーブルの水を口に含んだ。
 
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18:30 | 連載小説 | comments (1) | trackbacks (0) | edit | page top↑

Virus 107

「東欧の王国、か。行きたかったな〜」
 宮崎との電話を切ったあと、通話終了の文字を見つめながら、杏子は呟いた。
「別に、行けないと決まったわけじゃないですか」
運転席の天崎が両手をハンドルに乗せて、その上に顎まで乗せた状態で言った。
「いや、あんたのその態度から、そんな前向きな意見が聞けるとは思わなかったわ」
「自分は元々エルトリアに行くことになってなかったですからね。他人には優しいんですよ、自分」
 天崎は杏子をチラリと一瞥して、また視線を前に向けた。
 視線の先には、パトカー数台と数人の制服警官が、四台前を徐行する大衆車を代表する白のセダンを誘導していた。
「でもなぁ、捕まるのは御免被りたいんですよね」
「勝手ねぇ。ま、捕まってもすぐ解放されるわよ。あんたは」
「それでも、と思っちゃうわけですよ」
 ブレーキから足を外し、車を前に出して、また停める。
「あと、三台ですね」
「そうね」
 どうでもよい会話。
それから杏子は、前髪を指先で摘んでは離し、摘んではそれをくるくると巻いた。
「あの子たち……」
「え?」
天崎が聞き返す。
「いや、あの子たち、成田に着いたかな?」
「宮崎さんでしたっけ?あの制服の娘」
「手、だすなよ」
「はは」
 天崎は乾いた笑いでこめかみを掻いた。
「幸い宮崎さんは制服で同乗しています。ふたりがよほど大根じゃなければ切り抜けられますよ。本店の電話はいまだに未開通です。確認の連絡もとれないでしょうから。――ケータイ通じて良かったですね」
杏子がもう一度ケータイを開く。電波強度を示すアンテナは二本。
「ほんと、他人のことになると優しいね」
「唯一の美点ですから」
 天崎がブレーキペダルから足を浮かせる。検問の順番がまわってきた。
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18:02 | 連載小説 | comments (1) | trackbacks (0) | edit | page top↑

Virus 106

「はい。はい……。第二ターミナルの?ええ……はい」
 宮崎が中田の素振りを眼で追いながら相槌をうつ。その間隔は短く、状況は切羽詰まっているように感じた。
 程なく電話を終えた宮崎が、中田のケータイをフックに戻した。
「警視は何と?」
中田が横目で窺ってきた。
「天崎さんの車、宮野木ジャンクションで検問があったみたいです」
「天崎は先行して成田に向かっていた。それが検問にあったから我々は湾岸経由で、ということですね?」
「そういうことみたいです」
 予想より警察の対応が早い。都内の大停電で、テロ特措法が適応されたついで、ということだろうか。しかし、そうすると湾岸線でも、どこかで検問を行っていると考えて間違いない。
「合流は、どこと言っていました?」
「第一ターミナルの、出発ロビーって言ってました」
どちらかが間に合わない場合は、片方だけでもエルトリアへ行け、ということか。

千葉に入ると、そろそろヘッドライトがいる時刻だった。
杏子からの電話があってから、ふたりはずっと無口だった。一度トイレ休憩を挟んだ以外、中田は周囲を警戒しながら車を走らせるだけだ。今のところ追けられている気配はないが、狭い車内は緊張が支配していた。
 その均衡を破ったのは、反対車線を走る運送会社のトラックのヘッドライトだ。
 二、三回明滅を繰り返す。夜の帳が降り始めた時刻、その点滅は明らかに故意だった。
 中田はバックミラーで後ろの車種を確認する。それで、会社は違うが同じ運送業のトラックだと知った。単なる挨拶かもしれないが――。
 中田はナビを操作し、高速道路の渋滞状況を確認した。
 そして、下道に降りた。
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17:16 | 連載小説 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

Virus 105

  ふたりは当初の予定通り、首都高速七号線を京葉道路の宮野木ジャンクションを目指していた。
 と、ラジオチューナーの前のフックに固定された中田のケータイがふいに振動した。
「あ、電話……」
 呟く宮崎がフックからケータイをはずして差し出すと、中田はそれを一瞥してから「お願いします」と頷いた。
 着信を表示するケータイ背面の小さな液晶パネルは飯野警視とあった。
 一度はう〜んと躊躇いながらも、通話ボタンを押し、耳に当てると
「遅い!」
と、一括されてしまった。
「はひっ」
 自分でも変な風に声が裏返ったのがわかった。
「ごめんなさい。飯野警視。でも、中田先輩のケータイに私なんかが出ちゃうのも……。いえ、先輩が出てくれって言ったんですが――」
 気づくと早口で弁解していた。
「あ〜〜。わかった。うん、わかったから……」
 杏子の声色があやすようになった。杏子のほでも、失敗したと思っているのだろう。
「ケーコちゃん、いい?落ち着いて横の唐変木に伝えて」
 杏子は、宮崎の相槌が大人しくなるのを待ってから、そう切り出した。
「まだ、宮野木ジャンクションについてないよね?」
 宮崎は周りの景色と道路標識を確認した。
「はい。まだ高速にも入ってないです」
「よかった。七号線には入らず、湾岸線から向かってほしいの」
車で成田空港に向かう場合、予定していた首都高速七号線から、京葉道路宮野木ジャンクション経由で東関東自動車道のルート以外に、首都高速湾岸線から東関東自動車道に繋ぐ二つのルートがある。一般的には湾岸線ルートが推奨されているようだが、たいていは渋滞情報などを見ながらルートを選定する。
「湾岸線から行けって、警視が」
 宮崎は通話口を左手で塞いで、中田の反応を待った。
「なにがあったのかと、合流ポイントを確認して下さい」
 中田の視線がサイドミラーとバックミラーを忙しなく行き来した。

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17:57 | 連載小説 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

Virus 104

 車は神田橋ランプで高速に乗った。このまま文京区の早稲田ランプで降りれば、練馬区だ。
 練馬区は大泉学園の住宅街にある中田のアパートは、木造二階建ての、ありふれた独身者用のアパートだった。一階と二階にドアが三つずつ。外観からみても、1Kあるいは1DKしかなかろう小さな部屋が、押し込まれるようにして計六世帯分入っているということだ。
 こんなものだろうと納得しつつ、宮崎は路肩に駐車した車の外に出て、二階の手前、中田が消えていった部屋を見上げた。
 ふと、子供の『ばななん、ばななん』という音程など全く頓着しない、されど微笑ましい歌声を風が運んできた。さらに遠くからはホイッスルの短い音とざわめきも聞こえてくる。今は夏休みの真っ最中のはずだ。部活か何かだろうか。
 練馬は都内でも有数の猛暑地帯ときく。しかし、確かに暑い事には変わりないのだが、車の排気音やクラクションが聞こえないと、なんと穏やかでいられることか。良いところだと感じた。
 しばらくして、ドアの外に姿を現した中田は、少しだけ部屋の中を見つめてから、足下に置いたボストンバックを肩にかけて、鉄製の階段を降りてきた。
「お待たせしました」
 言う中田の額には玉の汗が浮かんでいる。この酷暑の中、閉め切ったいた部屋の中で荷造りするのは拷問に近いものがあるだろう。
「いえ、大丈夫です。どうぞ」
 宮崎はハンカチを取り出して、中田に差し出した。
「ありがとうございます。市民にクーラーを返してあげないといけませんね」
 受け取ったハンカチで汗をぬぐった中田は、自分の暮らした部屋を仰ぎ見た。
「戻ってこられます。きっと」
 元気づけようとする宮崎に、中田は振り返って笑った。
「戸締まりの確認をしただけですよ」

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